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台北の文化発信地へ生まれ変わった百年建築
台北・西門町の中心に立つ、赤れんが造りの印象的な建物、西門紅楼(The Red House)です。
現在はカフェや雑貨店、劇場、イベントスペースを備えた文化施設として親しまれていますが、この建物の出発点は、実は1908年に建設された公設市場でした。西門紅楼は明治41年(1908年)創建。台湾で初期に整備された近代公設市場の一つであり、1997年には台北市の市定古蹟に指定されています。
西門紅楼を読み解き、西門町という街がどのように生まれ、台北最大級の繁華街へと発展したかを探ってみました。


現在の西門町一帯は、清朝時代には台北城の西門(宝成門)の外側に位置していました。当時、この周辺は城壁外の周縁部であり、城内の行政・商業中心地と、伝統的な商業地区である艋舺(現在の萬華)との間に広がる地域でした。
日本統治期に入ると、台湾総督府は台北の都市改造を進め、城壁の撤去、道路整備、市街地再編を実施。
その過程で形成された新市街の一つが西門町です。官庁街に近く、既存市街地との中間に位置するこのエリアは、近代的な商業・娯楽地区として計画的に整備され、劇場、映画館、商店が集積する新たな都市空間へと変貌していきました。そして、その中核施設として整備されたのが、西門市場、すなわち現在の西門紅楼でした。
西門紅楼の前身である西門市場は、商業施設ではなく、当時の総督府が推進した近代市場政策の象徴でもありました。清代の市場は露店中心で、衛生環境や流通管理に課題があったとされます。これに対し、日本統治下では公設市場制度が導入され、衛生管理・流通統制・都市整備を兼ねた近代市場の整備が進められました。
現地での資料展示によると
という流れが確認できます。
西門紅楼最大の特徴は、その独特な建築構成にあります。現地展示資料によれば、
という構成を採用。八角形と十字形を組み合わせたこの平面は、台湾でも極めて珍しい建築形式です。設計は台湾総督府営繕課の建築家、近藤十郎と松崎萬長による共同設計・建設と言われています。
この形状については、
として語られることも多く、東西の意匠が交差する象徴的建築として現在も高く評価されています。
西門紅楼の変遷
| 1908年~ | 西門市場 近代公設市場として開業 |
| 戦後~ | 紅楼劇場 京劇・地方劇などの上演空間へ転用 |
| 1963年~ | 紅楼戯院(映画館) 映画上映開始 |
| 2007年~ | 文化創意拠点 リノベーション実施 |
西門紅楼は、その時代ごと必要なものに変化していきました。
現在の館内には、
などが入り、週末にはマーケットや展示会、舞台公演も開催されています。また、南広場周辺は現在、多様なカルチャーが交差する西門町らしい空間として親しまれており、歴史建築でありながら今も文化を生み出す場所として機能しています。
台湾に約10年間在住し、現地で生活・仕事を経験。
現在はまいぷれ東村山・小平・東大和 編集部として、北多摩と台湾をつなぐ視点から、歴史・文化・地域の魅力を取材・発信している。
※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。
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