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第16回:【小平】歌うとは共感

更新)

バスバリトン荒井俊匡さんが歩んだ人生

オペラ歌手として舞台に立ち、台湾では前衛芸術や実験演劇の世界に飛び込み、交通事故による聴覚障害を経験しながらも再び歌の世界へ戻ってきた荒井俊匡さん。

 

その歩みは決して一直線ではありませんでした。

 

厳格だった父親が初めて涙を流した中学生の頃の出来事。台湾人の祖母との縁から始まった台湾での生活。音楽を手放す決断。そして娘の誕生をきっかけに再び歌い始めた現在。

 

「歌うとは共感」

 

そう語る荒井さんの人生には、音楽だけではない数多くの出会いと挑戦がありました。今回は、音楽グループ「こいねこ」で活動するバスバリトン・荒井俊匡さんにお話を伺いました。

荒井俊匡さん

父の涙から始まった音楽

 

荒井さんが音楽に触れた最初のきっかけは、幼稚園時代に同居していた従姉妹が習っていたバイオリンでした。しかし、音楽を本格的に学びたいと思うきっかけになったのは中学生の頃のある出来事だったといいます。

 

「父に無理やりカラオケへ連れて行かれて歌ったことがあったんです。その時、父が涙を流していたんですよ」

 

父親は厳しく短気な性格で、普段はあまり会話もなかったそうです。そんな父親が自分の歌を聴いて涙を流した姿に、荒井さんは大きな衝撃を受けました。

 

「歌って人の感情を動かしてしまうんだと思いました。もっと勉強したいと思ったんです」

 

その思いを周囲に相談する中で出会ったのが声楽でした。洗足学園音楽大学へ進学後は、偶然の縁からドイツリートの佐藤征一郎氏に師事し、シューベルトを中心としたドイツ歌曲を学び続けます。荒井さんは当時を振り返り、こう話します。

 

「目指していた歌手像は特にありませんでした。ただ、自分が演じて生み出した感情を、どうしたら相手に共感してもらえるのか。そればかりを考えていました」

 

オペラフィガロの結婚ーフィガロ

オペラ歌手から台湾へ

 

大学卒業後、荒井さんはオペラを中心に活動を続けました。《魔笛》パパゲーノ役、《フィガロの結婚》フィガロ役をはじめ、数多くの舞台に出演。音楽家として着実に経験を積んでいきます。しかし、その後の人生は本人も予想していなかった方向へ進むことになります。

 

「若い頃に思い描いていた音楽家人生とは全然違いました。予想を超えた波瀾万丈な人生になりましたね」

 

その転機となったのが台湾でした。きっかけは音楽ではありません。日本で亡くなった台湾人の祖母でした。心臓病を患っていた祖母は生前、

 

「いつか彰化の親戚のところへToshiと一緒に行きたい」

 

と話していたそうです。その願いを果たせなかったことが心に残っていた荒井さんは、祖母の遺品を台湾の親族へ届けるため台湾を訪れます。ところが、その訪問が人生を大きく変えることになりました。

 

「台湾へ行って、新しい音楽の考え方にたくさん出会いました」

 

それまで持っていたクラシック音楽の常識が否定されたわけではありません。むしろ逆でした。

 

「クラシック音楽はこうあるべきという壁がなくなった感じでした。壊れたというより、いろいろな音楽と融和したんです」

 

一方で、日本での活動を離れる決断には周囲から心配の声もありました。音楽をやめてしまうのではないか。

なぜ今台湾へ行くのか。日本で受けていた仕事を断ることもあり、必ずしも理解される選択ではなかったといいます。それでも荒井さんは台湾での挑戦を選びました。

黑暗巴洛克

黑暗巴洛克

音の壁が消えた台湾時代

 

台湾での生活は、想像以上に温かく迎えられるものでした。住んでいた場所では十分な練習環境がなかったため困っていたところ、劇場関係者が練習場を貸してくれたといいます。

 

「全面鏡のある練習場を毎日使わせてもらえました。本当にありがたかったですね」

 

もちろん苦労もありました。言葉の違いです。舞台の稽古中、中国語で「消失」と言われた時には戸惑ったと笑います。

 

「日本語の感覚だと『何が消えるの?』と思ってしまうんです」

 

リアルタイムで飛び交う中国語を理解しながら、周囲に迷惑をかけないよう必死に学び続けた日々でした。そんな台湾時代に最も大きな影響を与えた人物が、作曲家のSandraさんでした。牯嶺街小劇場との出会いも、Sandraさんとの縁から始まります。

 

「どんな挑戦でも受け入れてくれる人でした。自由な発想を持った作曲家」

 

影響を受けたのは言葉ではありません。その行動そのものだったといいます。クラシック音楽の枠にとらわれず、新しい表現へ挑戦し続ける姿勢。その姿を間近で見たことが、その後の荒井さんの音楽観を大きく広げることになりました。牯嶺街小劇場では、実験音楽劇『黑暗巴洛克REMIX』や、映像・音楽・即興表現を融合した『百年孤寂三部曲』などに参加。DJやラップ、ヒップホップ、実験音楽など、それまで接点のなかったジャンルとの共演も経験しました。

 

「全ての音楽に組み合わせのダメはないと知りました」

 

そして同時に、クラシック音楽を学んできたことの価値も再認識したといいます。

 

「クラシック音楽の常識があったからこそ、新しい音楽にも挑戦できたんです」

 

台湾での経験は、音楽の可能性を大きく広げる時間となりました。

TVCM

舞台だけではない挑戦

 

台湾では舞台だけでなく、テレビ番組やCMへの出演も経験しました。出演のきっかけは劇場関係者からの紹介でした。舞台とテレビ。同じ表現の世界でありながら、その違いは大きかったといいます。

 

「舞台はみんなで時間をかけて作り上げて、その場でお客様に届けるものです。でもテレビは、テレビの向こう側にいる人が楽しめるコンテンツを作る世界でした」

 

そんな台湾時代、ある香港人からかけられた言葉が今でも印象に残っているそうです。

 

「Toshiのあの歌詞の部分の声に感激した」

 

実は、その部分には自分自身も特別な感情を込めていました。だからこそ、その思いが届いていたことが嬉しかったと振り返ります。また、ギタリストの陳大山さんと活動した時のことも忘れられない思い出です。

 

「彼はいつも『Toshiは最高だ!』と言ってくれました」

 

国籍や言葉を越えて認め合える仲間との出会いも、台湾時代の大きな財産となりました。

クリスマスイブの事故

 

2013年12月24日。その日は豪雨の日でした。

 

当時、台湾で飲食店を経営していた荒井さんは、本店から新店へ食器を運ぶためバイクに乗っていました。ところが交差点で、赤信号を無視したバイクが衝突。荒井さんは大きく転倒します。

 

「4車線の大通りだったんです。転倒した後、後ろを見たら車に轢かれるかもしれないと思いました」

 

しかし、偶然にも後方には救急車が走っており、後続車も来ていませんでした。命を落としていてもおかしくない事故でした。体は動きませんでした。周囲の人たちに歩道まで運ばれ、「大丈夫か?」と声をかけられたといいます。

 

「『生きてます』と答えたら、『それなら大丈夫そうだ』となって、みんないなくなってしまいました」

 

笑い話のように語りますが、その後も状況は深刻でした。15分ほど現場に座り込み、事故相手がいた方向を見ると、すでに姿はありません。救急車を呼ぼうとしても左手に力が入らず、右手だけで携帯電話を操作したといいます。病院へ搬送された後の記憶は曖昧です。

 

断片的に覚えているのは、左半身の傷口の縫合。

 

そして

 

病院から脱走したことでした。

 

台湾での活動中に遭った交通事故は、荒井さんの人生に大きな影響を与えました。入院から病院脱走までさまざまな出来事があり、今となっては笑い話になったものもあります。そのエピソードだけで一つの記事になってしまうほど。今回は詳細には触れませんが、そうした経験も含めて、現在の荒井さんの考え方や表現に少なからず影響を与えているようです。

音楽を手放し、父になる

 

事故によって荒井さんは左耳の聴覚障害を負いました。さらに左目、左胸、頭部にも強い痛みが残りました。

 

「いつまでこの症状が続くのか、それが一番不安でした」

 

音楽家にとって聴覚は何よりも大切なものです。それでも当初は、必死に前へ進もうとしていました。しかし、思うようにはいきませんでした。2015年。荒井さんは大きな決断を下します。

 

「もう音楽の世界には戻らないと決めて、日本へ帰国しました」

 

歌手として活動していた人生に、自ら区切りをつけた瞬間でした。帰国後は、ハワイアンレストランでメニュー制作、中国系企業での総務業務を経て、製造業ではマーケティングリーダー兼海外事業部として国内外のビジネスに携わることになります。

 

音楽とは異なる世界でしたが、人と人をつなぎ、新しい価値を伝えるという仕事の本質は、舞台に立っていた頃とどこか共通していたのかもしれません。その後も自治体の子育てガイドブック制作や広告営業、医療機器メーカー勤務など、さまざまな仕事を経験しました。

 

そして帰国した年、娘さんが誕生します。

 

「事故によって、音楽を手放し、子どもを手に入れた」

 

当時は音楽へ戻ることを考えてはいませんでした。父親として新しい人生を歩み始めることに精一杯だったといいます。しかし、娘さんが成長していく中で、少しずつ心境に変化が生まれます。

 

「子どもには、挑戦することの大切さを伝えたいと思うようになったんです。でも、自分自身が挑戦をやめていたら説得力がないですよね」

 

失敗してもいい。うまくいかなくてもいい。それでも挑戦する姿を見せたい。その思いが、長く離れていた音楽へ再び向き合うきっかけとなっていきました。

再び歌うという選択

 

音楽から離れていた荒井さんが再び歌と向き合うきっかけとなったのは、コロナ禍でした。

 

  • 残業がなくなったこと。
  • コロナによる身内との別れがあったこと。
  • そして台湾時代の記憶でした。

台湾で高齢者施設を訪れ、日本統治時代を生きた台湾の人たちと日本語で歌った時間。その時の感動が、ずっと心のどこかに残っていたといいます。

 

「自分の音楽でもう一度何かできないだろうか」

 

そう考えるようになった頃、地域で活動する音楽グループ「こいねこ」と出会います。再び歌うことを決めた荒井さんは、全力で準備を始めました。歌う技術だけではありません。オペラの舞台で歌うことには慣れていても、地域の会場でお客様と同じ目線に立ち、言葉を交わしながら音楽を届ける経験はほとんどありませんでした。

 

「日々の模索とイメージトレーニングは欠かせませんでした」

 

それでも一歩ずつ歩み始めました。

 

音楽から離れていた年月を取り戻すように。

そして、自分の歌で誰かの心に寄り添える時間をもう一度つくるために。

こいねこで見つけた新しい音楽

 

現在活動している音楽グループ「こいねこ」には、それぞれ異なる人生を歩んできたメンバーが集まっています。かつて音楽活動をしていたものの、何らかの理由でブランクを経験した人も少なくありません。

 

「音楽で音を楽しむって、こんなこともあるんだと一緒に模索できるグループだと思っています」

 

高齢者施設、公民館、地域イベント。活動の場はオペラハウスではありません。だからこそできる挑戦があると荒井さんは話します。

 

「オペラハウスではないからこそ、新しいことに挑戦できるんです」

 

お客様との距離の近さも魅力の一つです。

 

「一人ひとりの表情や反応を見ながら、MCの方向性を変えたり空気感を変えたりできるんです」

 

舞台の上から届ける音楽だけではなく、その場にいる人たちと一緒につくる音楽。

  • 台湾で学んだ自由な発想。
  • クラシックで培った技術。
  • そして人生経験。

そのすべてが今の活動につながっています。

Piazza del Duomo, Firenze

歌うとは共感

 

荒井俊匡さんの人生を振り返ると、多くの人との出会いが見えてきます。

 

  • 幼い頃に音楽へ導いてくれたいとこのバイオリン。
  • 中学生の時、自身の歌を聴いて涙を流した父。
  • 台湾へ渡るきっかけとなった祖母。
  • 音楽の新しい世界を見せてくれたSandraさん。
  • 台湾で出会った仲間たち。
  • 事故の後、支えてくれた人たち。
  • そして、再び歌う決意を与えてくれた娘さん。

振り返れば、そのどれもが人生の転機でした。

 

「これまでの人生で一番大きな転機を挙げるなら、2000年にイタリアへ行ったことですね」

 

声楽を学び、オペラを歌い、台湾へ渡り、事故を経験し、地域で再び歌う。その長い道のりの中で、荒井さんは日本と台湾の両方から多くのことを学んだといいます。

 

「台湾に長く住んだからこそ、台湾の歴史を知ることができました。そして、台湾の人たちの壁のない発想の仕方にも大きな影響を受けました。だからこそ今も、新しい挑戦を続けています。歌を通して、いろいろな国の文化や歴史をお客様と一緒に楽しみたいんです」

 

人は知らないものを怖がることがあります。しかし、知ることで理解が生まれ、縁が広がっていく。それは台湾で学んだことでもあり、現在の活動の原点でもあります。では、荒井俊匡さんにとって歌うとは何なのでしょうか。

少し考えた後、返ってきた答えはとてもシンプルでした。

 

「共感」

 

  • 父親の涙に心を動かされた少年時代。
  • ある香港人からかけられた言葉。
  • 台湾の高齢者施設で一緒に歌った時間。
  • そして今、地域で出会うお客様とのひととき。
  • 歌は誰かの心を動かし、人と人をつなぐもの。

 

オペラ歌手として歩んだ日々も、台湾での挑戦も、事故による挫折も、父となったことも。

荒井さんが歩んできた人生そのものが、その言葉を証明しているように感じました。


 

編集後記 取材・文:陳書涵

 

オペラ歌手として歩み始めた人生は、台湾での挑戦、交通事故による挫折、そして地域での再出発へと続いていきました。

 

しかし、お話を伺っていて感じたのは、荒井さんの人生は音楽だけで語れるものではないということです。父親の涙に背中を押され、祖母との縁が台湾へ導き、そこで出会った人たちが新しい音楽の扉を開く。そして事故によって一度は音楽を手放しながらも、娘さんの存在が再び歌う理由となりました。

 

振り返れば、その節目にはいつも「人との縁」がありました。

 

学生時代から問い続けてきた「どうすれば相手に共感してもらえるのか」というテーマは、形を変えながら今も荒井さんの音楽の中心にあります。

 

歌うとは共感。

 

その言葉は、これまで出会ってきた人たちとの関わりの中で生まれた、荒井さん自身の人生そのものなのかもしれません。これからも荒井俊匡さんの歌声が、多くの人との新たな縁をつないでいくことを楽しみにしています。

こいねこ

地域向け音楽イベントの企画と実施・音楽教室

クラシック×民謡、癒しのこいねこサウンド。

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※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。

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