東村山・小平・東大和地域のアーティストが集まる場所
(更新)
主宰・振付師横山佐江子さん
取材の最後、横山佐江子さんはそう話してくださいました。その一言を聞いた瞬間、約2時間にわたるお話が一本の線でつながったような気がしました。
歌、ピアノ、クラシックバレエ、路上ライブ、ジャズダンス、振付、そしてMu❤︎Zies(ミュージーズ)。振り返れば、そのすべてが「思い出」であり、次の挑戦へ進むための大切な一歩だったのでしょう。
現在は振付師、ダンスインストラクターとして活動する傍ら、ダンスパフォーマンスグループMu❤︎Ziesの主宰として、一人ひとりの個性を生かした作品づくりに取り組んでいます。しかし、取材を通して見えてきたのは、単に「ダンスが上手な人」ではありませんでした。仲間を信じ、人を輝かせ、舞台を通して思い出をつくる人。
それが、横山佐江子さんという表現者でした。

Mu❤︎Zieでダンスコンテスト優勝(左:横山佐江子さん)
広島で生まれ大阪で育った横山さん。横山さんが初めて「表現する楽しさ」に触れたのは、4歳の頃でした。「親がピアノを習わせたかったみたいなんです。でも、まずは歌から始めようということになって。」歌を習い始め、その後ピアノへ。そして6歳からはクラシックバレエも始め、小学6年生まで続けました。
「バレエの先生は、とても厳しかったですね。」
そう笑いながら当時を振り返ります。
レッスンは決して楽なものではありませんでしたが、発表会で舞台に立つ時間は何よりも楽しみだったそうです。
「人前で表現すること」が、幼い頃から横山さんの日常の一部になっていました。ピアノも、ただ練習するだけではありません。スタジオジブリの楽譜を自分で買い、『天空の城ラピュタ』を夢中で弾いたり、高校生になるとMr.Childrenの曲にも挑戦したり。
「好きだから弾く。」
その時間が、音楽をもっと身近な存在にしていきました。
実は、音楽以外にも夢中になっていたことがあります。それは、絵を描くことでした。少女漫画が好きで、自分でもよく絵を描いていたそうです。歌、ピアノ、バレエ、そして絵。今振り返ると、そのすべてが「表現すること」につながっています。
子どもの頃の夢は、音楽の先生になることでした。その言葉を信じ、ご両親は音楽大学を目指せるよう応援してくれていたといいます。しかし、高校生になる頃、その夢は少しずつ形を変えていきました。
「人に何かを伝える仕事もいいなと思うようになったんです。」
その思いから、大学では放送サークルへ。昼の校内放送でアナウンスを担当し、さらにFM大阪ではアシスタントディレクターのアルバイトも経験しました。番組づくりの現場で、多くの人と関わりながら、「伝える」という仕事の面白さを肌で感じていきます。一方で、音楽への情熱も変わることはありませんでした。友人とバンドを結成し、京都では路上ライブにも挑戦。
表現の方法は違っても、その根底にあったのは、「誰かの心を動かしたい」という思いでした。当時の横山さんは、まだ振付師になるとは思っていません。それでも、歌や音楽、舞台、放送など、さまざまな経験を重ねる中で、「表現すること」は少しずつ人生の軸になっていきました。
その積み重ねが、社会人になって出会うジャズダンス、そして人生を大きく変える"ある気付き"へとつながっていきます。

浪花小町
大学卒業後、横山さんは大阪の広告会社へ就職します。企画を立て、多くの人と調整しながら、一つの広告をつくり上げていく仕事でした。忙しい毎日を送りながらも、24歳の時に出会ったのがジャズダンスです。
「最初は、本当に趣味だったんです。」
仕事が終わるとレッスンへ向かい、時には仕事が長引いて汗だくのままスタジオへ駆け込むこともありました。
平日は仕事とレッスン。土日もレッスン。
決して楽な生活ではありませんでしたが、不思議と「大変だから辞めよう」とは思わなかったそうです。
「好きだったんでしょうね。」
その一言に、当時の充実した日々がにじみます。
そして26歳の頃、人生を変える出来事が訪れます。振付を任される機会があったのです。「その時に初めて、『私、振付ができるんだ』って思いました。」それまで歌やピアノ、バレエ、路上ライブなど、さまざまな表現に触れてきました。
でも、それらはどこか別々の経験だと思っていました。ところが、振付を考え始めると、それまで積み重ねてきた経験が一つにつながっていく感覚があったといいます。
そして
すべてが自然につながり、「振付」という新しい表現へと結び付いていきました。「好きなこと」と「自分に向いていること」が重なった瞬間でした。振付を手掛けるようになると、仲間と作品をつくる楽しさにも夢中になっていきます。
その後、東京への転勤を機に活動の場を移し、ダンスチーム「ピーナッツ」を結成し、自主公演を2回開催しました。一つの舞台をつくるには、振付だけでは完成しません。練習日程を調整し、会場を押さえ、衣装や演出を考え、本番へ向けて仲間と積み重ねていく時間があります。そのすべてが、横山さんにとってはかけがえのない時間でした。
しかし、順調だった活動に思わぬ転機が訪れます。
自主公演の準備を進めていた矢先、大阪への転勤が決まったのです。会場はすでに押さえていました。それでも仲間との約束を簡単には手放せず、大阪と東京を往復しながら準備を続ける日々が始まります。
「30歳の頃には、『自主公演はもう二度とやるものか』と思いました。」
そう振り返るほど、その経験は大変なものでした。それでも、「表現すること」を嫌いになることはありませんでした。大阪では新たに「浪花小町」を結成し、再び仲間と舞台づくりを始めます。環境が変わっても、横山さんの中で変わらなかったものがあります。
それは、「一人で踊ること」よりも、「仲間と一つの作品をつくること」が好きだという気持ちでした。この頃にはまだ、現在のMu❤︎Zies(ミュージーズ)は誕生していません。けれど、後に主宰として仲間をまとめ、一人ひとりの個性を生かす横山さんの原点は、すでにこの頃に育まれていたのです。

浪花小町
再び東京へ転勤し、結婚。埼玉で出産・子育てを経験しました。人生のステージが変わるたびに、横山さんの暮らしも大きく変化していきました。思うようにダンスへ時間を使えない時期もありました。それでも、「表現すること」を手放そうと思ったことは一度もなかったそうです。お子さんが1歳だった2019年には、子連れで参加できるダンス教室をスタートしました。
「子育て中のお母さんたちが、少しでもリフレッシュできる場所をつくれたらと思ったんです。」
子どもがいるからできない。
ではなく、
子どもがいても楽しめる場所をつくりたい。それは、横山さん自身が子育てを経験したからこそ生まれた思いでした。ダンスを教えることよりも、その時間を通して笑顔になってもらうこと。その考え方は、現在の活動にも通じています。しかし、その矢先にコロナ禍が訪れます。
舞台もイベントも次々と中止になり、人が集まることさえ難しくなりました。それでも、横山さんのもとには「また一緒に踊りましょう」「もう一度やりませんか」という声が届きます。
「じゃあ、もう一度やってみようかな。」
その思いが、新たな一歩につながりました。もともと「Mu❤︎Zie」として少人数で活動していましたが、イベント出演の声が掛かったことをきっかけに、「チームとして活動していこう」という思いが強くなります。
それぞれ異なる経験を持つ人たちが集まり、現在のMu❤︎Zies(ミュージーズ)が誕生しました。横山さんは、自身の役割を「主宰」というより、「本番までを進めるプロジェクトのまとめ役」と表現します。
「一つの作品をつくるには、本当にたくさんの人が関わります。本番に向かって、みんなで少しずつ積み上げていく。その時間も含めて、一つの作品なんです。」
その考え方には、広告会社で培った経験も生きています。企画を立て、スケジュールを調整し、多くの人と協力しながら一つのものを完成させる。舞台づくりもまた、同じだといいます。
「活動を通して一番大切にしていることは何ですか。」
そう尋ねると、横山さんは迷わず答えてくださいました。
「個性です。」
同じ振付を踊っていても、一人ひとり表現は違います。
だから全員を同じように見せるのではなく、その人らしさが伝わる作品にしたい。
「みんなの良さを出したいんです。」
その言葉には、横山さんらしさがよく表れていました。
一方で、仲間には仕事があり、家庭があります。子育てをしている人もいます。
「生活には配慮したいと思っています。」
そう話したあと、少し表情を引き締めて続けました。
「でも、作品のクオリティは落としたくないんです。」
そのバランスについて尋ねると、横山さんは少し照れたように笑いました。
「上からでもなく、下からでもなく、その間を泳ぐ感じですね。」
その言葉を聞いて、「人をまとめる」のではなく、「人が力を発揮できる場をつくる」のが横山さんのなのだと感じました。Mu❤︎Ziesは、まだ歩み始めたばかりのグループです。だからこそ、これからどんな仲間が加わり、どんな作品が生まれていくのか。その未来にも、大きな期待が膨らみます。
※当初は2人組ユニット「Mu❤︎Zie」として活動をスタート。その後、仲間が加わる中で現在のMu❤︎Zies(ミュージーズ)として活動。

横山佐江子さん
Mu❤︎Ziesが目指しているのは、同じジャンルのダンサーだけが集まるグループではありません。異なる経験を持つ表現者が出会い、お互いの個性を認め合いながら、新しい作品を生み出していくこと。その新しい挑戦の一人が、東村山市で活動する和太鼓・タップダンス奏者のせっちーさんです。二人が出会ったのは、社会人ダンスサークルSDCのイベントでした。
当時、横山さんが振り付けた作品を見たせっちーさんが、「すごく良かった」と声を掛けてくれたことが、今でも印象に残っているそうです。
「作品を褒めてもらえたことが、本当にうれしかったんです。」
表現者にとって、自分が時間をかけてつくり上げた作品を認めてもらえることは、大きな励みになります。
その出会いから交流が始まり、その後はタップダンスを教わる機会もありました。
「とても親切で、丁寧に教えてくださる方なんです。」
今回は、そのせっちーさんと一緒に一つの作品をつくる立場になりました。
「今度は私がお願いする側になります。」
そう話す横山さんの表情には、新しい作品への期待があふれていました。
Mu❤︎Ziesはジャズダンスをベースに活動する仲間が中心です。そこへタップダンスや和太鼓という新しい要素が加わることで、これまでとは違う表現が生まれるかもしれません。「私が今までつくってきた世界観だけではなく、新しい世界観になると思っています。」その言葉から感じたのは、自分のスタイルにこだわるのではなく、新しい表現を積極的に受け入れる柔軟さでした。
「自分がつくる作品」ではなく、「みんなでつくる作品」。
それこそが、横山さんが大切にしている創作の形なのだと思います。

ピーナッツ
取材の最後に、「人生で一番大切にしている言葉」を伺いました。少し考えたあと、横山さんは穏やかな笑顔で答えてくださいました。
「人生は思い出作りの旅である。」
その一言を聞いた瞬間、それまで伺ってきたお話が一本の線でつながったような気がしました。
4歳で始めた歌。
6歳から続けたクラシックバレエ。
少女漫画に夢中になっていた子ども時代。
放送サークルや路上ライブに打ち込んだ学生時代。
社会人になって出会ったジャズダンス。
26歳で気付いた「振付ができる」という自分の可能性。
自主公演への挑戦。
転勤、結婚、出産、子育て。
そして…
新たに歩み始めたMu❤︎Zies。
どれか一つが欠けていたら、今の横山さんはいなかったのかもしれません。最後に、「20年前の自分へ一言伝えるとしたら?」と尋ねると、こんな言葉が返ってきました。
「好きなことは、ずっとできるよ。」
その言葉は、子どもの頃の自分へのメッセージであると同時に、今、何かに挑戦しようとしている人へのエールにも聞こえました。
取材中、横山さんは「作品」という言葉以上に、「みんな」という言葉を何度も口にしていました。
一人で輝くことよりも、仲間が輝くことを喜ぶ。
一人ひとりの個性を信じ、その魅力を引き出そうとする。
その積み重ねが、一つの舞台になり、一つの思い出になっていくのでしょう。
「人生は思い出作りの旅である。」
これからMu❤︎Ziesが歩んでいく道でも、新しい仲間と出会い、新しい作品が生まれ、多くの思い出が積み重ねられていくはずです。その舞台で生まれる一つひとつの時間が、出演者にとっても、客席で見守る人にとっても、心に残る「思い出」になっていくのでしょう。
Mu❤︎Ziesの集合写真
今回の取材は、東村山市で活動する和太鼓・タップダンス奏者・せっちーさんが、Mu❤︎Zies(ミュージーズ)の仲間として新たに参加されることをきっかけに実現しました。異なるジャンルで活動してきた表現者が集まり、一つの作品をつくり上げていく。その過程からどのような新しい表現が生まれるのか、今後のMu❤︎Ziesの活動にも注目していきたいと思います。
※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。

【第19回】仲間が輝く舞台をつくる。Mu❤︎Zies(ミュージーズ)
主宰・振付師横山佐江子さん

第18回「伴奏ではなく、共演。」調和を奏でる鍵盤奏者・森下柚香さん
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第17回「歌とは自己理解と自己実現」ソプラノ・松浦わか奈さんが歩み続ける音楽人生
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[ 学習塾・幼児教育(公文式) ]
自分で学ぶ力を育てる公文式
小平市小川町1丁目
[ オンライン個別指導塾 ]
元教員が伴走する一人ひとりのペースに寄り添う個別学習サポート
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和太鼓とピラティス融合!楽しく整う新習慣
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