東村山・小平・東大和の歴史と文化
東村山を流れる身近な川の由来をたどってみました

東村山市内を流れる空堀川(からぼりがわ)。
遊歩道を散歩したり、ジョギングを楽しんだりと、市民にとって身近な存在です。しかし、「空堀川」という少し珍しい名前の由来をご存じでしょうか。今回は、東京都の資料をもとに、空堀川の歴史を紐解いてみました。
空堀川は、武蔵村山市付近の狭山丘陵を源流とし、東大和市・東村山市・清瀬市を流れ、柳瀬川へ合流する全長約15kmの一級河川です。現在は一年を通して水が流れていますが、昔は違いました。
かつての空堀川は、普段はほとんど水がなく、**雨が降った時だけ水が流れる「涸れ川(かれがわ)」**でした。その姿が、水のない「空(から)の堀」のように見えたことから、「空堀川」と呼ばれるようになったとされています。
東京都建設局でも、この名前の由来を「普段は水がなく、降雨時だけ水が流れる川だったため」と紹介しています。
流域の都市化が進むにつれて、道路や住宅が増え、雨水が地面に浸透しにくくなりました。そのため、以前よりも川へ流れ込む水が増え、現在では一年を通して水が見られるようになっています。一方で、大雨の際には急激に水位が上昇するようになり、治水対策も重要な課題となりました。
空堀川流域では、昭和57年(1982年)の台風18号や、昭和60年(1985年)の集中豪雨などで浸水被害が発生しました。こうした被害を受け、東京都は河道の拡幅や護岸整備、橋の架け替えなどを段階的に進めています。現在の空堀川は、洪水対策と自然環境の保全の両立を目指しながら整備が進められている河川です。
治水工事が進んだ現在でも、空堀川には多くの自然が残されています。東京都によると、流域ではホトケドジョウなどの貴重な生き物や、多くの野鳥が確認されています。また、東村山市内には、水辺へ近づける親水空間も整備され、市民の憩いの場として親しまれています。
夕暮れの空堀川を歩いていると、水面には街の灯りが映り、ゆっくりと時間が流れていきます。普段は何気なく見ているこの川も、その名前の由来や歴史を知ると、少し違った景色に見えてきました。「昔は雨の日だけ水が流れる川だった。」そんな歴史を知ると、いつもの散歩道にも新しい発見があります。
まいぷれ東村山編集部では、これからも地域に残る歴史や文化を、資料や現地取材をもとにお届けしていきます。
北多摩には、まだ広く知られていない歴史や文化、人物、風景が数多く残されています。**「北多摩の歴史」**では、地域に息づく物語を現地取材と資料をもとにたどり、その魅力をお届けしています。次回も、身近な景色の中にある「知られざる歴史」を一緒に歩いてみましょう。
東京都建設局「河川整備計画について」
https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/river/jigyo/kasenseibikeikaku
東京都北多摩北部建設事務所「河川の整備」
https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/jimusho/kitakita/kasen-seibi
※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。

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