東村山・小平・東大和の歴史と文化
小平市民総合体育館がある津田町一帯は、かつて水の乏しい武蔵野の原野でした。玉川上水の開削、桑畑の時代、津田塾大学の移転、中央公園の整備を経て、市民のスポーツ拠点へと姿を変えてきました。この地域の歩みをたどります。

今回主役の小平中央体育館
現在の小平市中央公園・体育館周辺は、江戸時代までは「水がなく人が住みにくい武蔵野の原野」でした。
1653年に玉川上水が開削され、1655年には野火止用水が完成。この大規模な水路整備により、農耕が可能になり、新田開発が進みました。
「小平」という地名は、武蔵野の平坦な地形と、小川村の“小”を合わせたとされています。ここから、農村としての歴史が始まります。
体育館が立つ中央公園の土地は、長く桑畑が広がる養蚕地域でした。
戦後、蚕糸試験場の跡地が子どもの遊び場として開放されたことが、公園整備の始まりとされています。
1977年に中央公園として整備が始まり、1980年代には現在の広い園地・噴水・テニス場・グラウンドなどが順次完成しました。桑畑から市民の憩いの場へ、大きく姿を変えた時期です。
体育館の住所「津田町」は、津田塾大学の存在に由来します。
同大学がこの地に移転したのは1931年。当時は住宅も少なく、砂ぼこりが舞う荒れた土地だったと言われています。
大学が最初に取り組んだのは、なんと防風林づくり。自然環境が厳しい中、学生が学べる環境を整えるための大切な作業でした。
いまの落ち着いた町並みは、この“緑を育てる取り組み”から始まったともいえます。
小平中央公園の整備が進む中で、市民のスポーツ基盤として整えられたのが小平市民総合体育館です。
・第1~第5体育室
・温水プール
・トレーニング室
・弓道場
・会議室
といった施設が揃い、中央公園グラウンドと合わせて、さまざまな大会やサークル、健康教室の場として利用されてきました。住民の「運動する日常」を支える重要な役割を担っています。
体育館のある津田町エリアは、国立療養所多磨全生園に隣接する地域でもあります。
多磨全生園は1909年に開設されたハンセン病療養所で、長く国の政策と社会の偏見の歴史を見つめてきた場所です。
中央公園や体育館は、こうした歴史と記憶を抱えた地域のすぐそばにあり、「医療のまち」と「スポーツのまち」が共存していることは、小平が“人の暮らしと健康に向き合う地域”である象徴ともいえます。
現在も公園の改修や安全対策、周辺緑地との回遊性向上が検討されており、津田町~鷹の台一帯は、今後ますます「緑・学び・スポーツ」が調和したエリアへと発展していくと見られています。
かつての桑畑が、いまは市民の毎日を支える場所に。中央公園と体育館の歴史は、小平というまちの成長そのものといえるでしょう。
▼ 小平市民総合体育館 公式情報(出店情報)
https://www.city.kodaira.tokyo.jp/kurashi/030/030995.html
▼ 小平市民総合体育館 スポーツ教室案内(PDF)
https://www.city.kodaira.tokyo.jp/kurashi/files/30995/030995/att_0000004.pdf
▼ TAC(指定管理者) 小平市民総合体育館ページ
https://www.tac-sports.co.jp/kodaira/
▼ 小平市公式サイト(歴史・公園情報)
https://www.city.kodaira.tokyo.jp/
▼ 国立ハンセン病資料館(多磨全生園)
https://www.hansen-dis.jp/
▼ 津田塾大学 大学史資料
https://www.tsuda.ac.jp/
※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。