こいねこ
ジュリエット像。『ロメオとジュリエット』の舞台として知られるヴェローナを訪れた際の一枚
シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』。
結末を知らない人は、ほとんどいないでしょう。
二つの家の争いに巻き込まれ、若い恋人たちが悲劇的な最期を迎える物語です。
ところが、シャルル・グノーのオペラ《Roméo et Juliette(ロメオとジュリエット)》で、ジュリエットが最初に歌う有名なアリアは、悲劇とは正反対の音楽です。
そして、
“Je veux vivre dans ce rêve qui m’enivre”
という言葉。
一般に《私は夢に生きたい》と呼ばれるこの曲で、ジュリエットは何を歌っているのでしょうか。
原詞をたどってみると、「自由でいたい」というだけではない、若さと時間についての歌が見えてきます。
1867年、パリで生まれた《ロメオとジュリエット》
シャルル・グノー(Charles Gounod)のオペラ《Roméo et Juliette》は、シェイクスピアの戯曲をもとにした全5幕のオペラです。
台本を手がけたのはジュール・バルビエとミシェル・カレ。
初演は1867年4月27日、パリのテアトル・リリックで行われました。
この年のパリでは万国博覧会が開催されており、《Roméo et Juliette》は初演シーズンだけで89公演を記録する成功を収めました。
現在まで世界各地で上演され続けています。
場面は、キャピュレット家の舞踏会
《Je veux vivre》が歌われるのは第1幕。
キャピュレット家で開かれている仮面舞踏会です。
ジュリエットにはパリス伯爵との結婚話があります。
しかし、彼女はまだ結婚を望んでいません。
パリ・オペラ座の公式あらすじでは、この場面のジュリエットについて、「生きること、そして青春を楽しむことを夢見ており、パリス伯爵との結婚にはまだ準備ができていない」と説明されています。
そして、この直後。
舞踏会に忍び込んでいたロメオがジュリエットを初めて目にし、恋に落ちます。
《Je veux vivre》は、
ジュリエットがロメオと恋に落ちる、そのほんの少し前
に歌われる曲なのです。
私たちは二人の結末を知っています。
でも、この瞬間のジュリエットは知りません。
そこに、このアリアの明るさと悲劇との大きな落差があります。
「Je veux vivre」は何を意味する?
冒頭は、
“Je veux vivre dans ce rêve qui m’enivre”
です。
直訳に近づければ、
「私を酔わせるこの夢の中で生きていたい」
という意味になります。
ここで使われている m’enivre は、「私を酔わせる」「陶酔させる」といった意味。
そのため、日本でよく使われる《私は夢に生きたい》という題名だけでは、「rêve(夢)」にジュリエットが酔いしれているような感覚までは伝わりにくいかもしれません。
彼女はただ将来の夢を語っているわけではありません。
今、自分を包んでいる青春の喜びの中にいたい。
そんな言葉から歌が始まります。
ジュリエットが手放したくないもの
歌詞には、
jeunesse(青春、若さ)
という言葉が登場します。
ジュリエットは、この若さを守りたいと歌います。
douce flamme(甘美な炎)
という表現も現れます。
まだ誰か特定の相手への愛を歌っている場面ではありません。
(ロメオとの恋が始まる前です)
今、自分の中にある若さや生命の輝きを、そのまま楽しんでいたい。
この時点のジュリエットにとって、人生はまだ大きく開かれています。
でも・・・
ジュリエットは「青春が永遠ではない」ことを知っている
ここが、この曲を単なる「無邪気な少女の歌」で終わらせたくないところです。
歌詞には、
“Cette ivresse de jeunesse ne dure, hélas! qu’un jour!”
という一節があります。
「この青春の陶酔は、ああ、ほんの一日しか続かない」
という内容です。
ジュリエットは、若さの喜びが永遠に続くとは歌っていません。
むしろ、
今の時間は過ぎ去ってしまう
ことを知っています。
だからこそ、今を楽しみたい。
そう読むと、《Je veux vivre》の明るさには、最初からほんの少し「時間」の影が入っています。
「春」と「薔薇」
さらに歌詞には、
printemps(春)
rose(薔薇)
という言葉が現れます。
春は美しい。
薔薇も美しい。
しかし、どちらも永遠には続きません。
ジュリエットは、自分の心の中に咲く薔薇を、長く大切にしたいと願います。
若さを「春」や「薔薇」に重ねることで、
美しいからこそ、いつか終わる
という感覚が歌詞の中に生まれています。
では、なぜ音楽はワルツなのか
《Je veux vivre》は「ジュリエットのワルツ」とも呼ばれます。
3拍子の軽やかなリズムに乗って、声が細かく動き、高音へ駆け上がります。
メトロポリタン歌劇場もこの曲を、第1幕の“giddy coloratura gem”、つまり浮き立つようなコロラトゥーラの名曲として紹介しています。
舞台は舞踏会。
その場面にワルツの軽やかさがよく合います。
しかし、私たちはこの後に何が起こるのか知っています。
そして…
オペラの冒頭近くでこれほど明るいジュリエットを見せることで、その後の悲劇との落差はいっそう大きくなります。
実は、このワルツは初演歌手の希望から生まれた?
《Je veux vivre》には、もう一つ興味深い成立事情があります。
1867年の初演でジュリエットを演じたのは、フランスの名ソプラノ、
マリー・ミオラン=カルヴァーリョ(Marie Miolan-Carvalho)
でした。
メトロポリタン歌劇場の解説によると、カルヴァーリョは優れたコロラトゥーラと高音を持つ歌手で、舞踏会の場面にこの華やかなワルツ・アリアを加えるようグノーに働きかけたとされています。
現在ではジュリエットを代表するアリアになった《Je veux vivre》が、最初から現在の形でグノーの構想の中心にあったとは限らないのではないでしょうか。
グノーが力を入れたかったのは、むしろ別のアリア
さらに面白いのがここです。
同じMetの資料によれば、グノーがジュリエットのために特に力を注ごうとしていたのは、《Je veux vivre》ではなく、後に登場するいわゆる「毒薬のアリア」《Amour, ranime mon courage》でした。
こちらのジュリエットは、もう舞踏会で無邪気に笑っていた少女ではありません。
ロメオとの恋を知り、家族との対立に直面し、恐怖を抱えながら薬を飲もうとします。
同じ人物が、
第1幕では《Je veux vivre》
後には《Amour, ranime mon courage》
この二つを並べると、ジュリエットが物語の中でどれほど大きく変化するのかが見えてきます。
「少女らしさ」を見せるためだけの超絶技巧ではない
《Je veux vivre》には、細かなコロラトゥーラや高音が次々と登場します。
Metの解説では、このアリアには半音階的なパッセージや華麗な装飾があり、高いDにまで達すると説明されています。
技術的には非常に難しい曲です。
でも、舞台上のジュリエット(歌い手)は「難しい曲を歌っている人」に見えてはいけません。
彼女自身は
その自然な軽さを表現するために、歌手には高度な技術が要求されます。
この「難しいことを、難しく見せない」というところにも、このアリアの面白さがあります。
「悲劇を知らない明るさ」だけではなかった
《Je veux vivre》を、
「ロメオに出会う前の、無邪気なジュリエットの歌」
と考えて良いのかは疑問が残ります。
繰り返しになりますが、ジュリエットは
と歌います。しかし同時に、
青春はいつまでも続かない
ことも歌っています。
【該当部分の歌詞と意訳】
Cette ivresse
De jeunesse
Ne dure, hélas ! qu’un jour !
この青春の陶酔は、
ああ、たった一日しか続かない!
です。フランス語の ivresse は「酔い・陶酔」、jeunesse は「若さ・青春」、ne ... qu’un jour は「一日しか〜ない」です。
そして、その次の歌詞がさらに重要です。
Puis vient l’heure
Où l’on pleure,
Le cœur cède à l’amour,
Et le bonheur fuit sans retour.
やがて涙する時が来て、
心は愛に屈し、
幸せは二度と戻らず去っていく。
そして観客は、この少女の人生そのものがあまりにも短いことを知っています。
だから《Je veux vivre》の明るさは、物語の結末を知っている私たちには、少し切なくも聞こえます。
主な参考資料・確認資料
Opéra national de Paris「Roméo et Juliette」
グノーとシェイクスピア作品との関係
Metropolitan Opera「Roméo et Juliette」
作品の音楽構成、ジュリエットのアリアの位置づけなど
Metropolitan Opera 2023–24 Program「Roméo et Juliette」
初演ジュリエット役マリー・ミオラン=カルヴァーリョがワルツ・アリアの追加を働きかけたこと、グノーが「毒薬のアリア」に力を注ごうとしていたこと、《Je veux vivre》のコロラトゥーラや高音域について
Metropolitan Opera Program Notes「Roméo et Juliette」
1867年4月27日のテアトル・リリック初演、初演シーズン89公演、作品が後年改訂された経緯など
| 名称 | こいねこ |
|---|---|
| フリガナ | コイネコ |
| 住所 | 187-0023 小平市上水新町1丁目17-18 |
| 電話番号 | 070-8397-4063 |
| メールアドレス | koinekomusic@gmail.com |
| 営業時間 | 詳しくはお問い合わせください |
| Instagramアカウント | https://www.instagram.com/koinekomusic/ |
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