東村山・小平・東大和の歴史と文化
津田梅子とはどんな人物だったのか

イラストはイメージです。
小平市にある津田塾大学。その創設者が津田梅子です。2024年に発行された新五千円札の肖像としても知られるようになりました。けれど津田梅子は、単に「お札になった人」ではありません。6歳で海を渡った、日本最初の女子留学生の一人であり、その後の人生を女性の教育にささげた人物です。
この記事では、津田梅子の生涯をたどりながら、
を、紐解きます。
津田梅子は1864年、現在の東京都新宿区に生まれました。1871年、岩倉使節団とともにアメリカへ渡った日本最初の女子留学生の一人です。当時の日本では、女性が海外で教育を受けることはほとんど例がなく、非常に先進的な取り組みでした。長くアメリカで教育を受けた後、1882年に帰国しますが、日本の女性教育の状況に大きな課題を感じ、再び留学。帰国後は教育者として活動を始めます。
津田梅子は、女性が学ぶことの重要性を強く感じていました。1900年、東京・麹町に女子英学塾を開校。わずか10名の学生からスタートしたこの学校が、現在の津田塾大学の始まりです。津田梅子が目指したのは、単なる語学教育ではありません。女性が自ら考え、社会の中で役割を果たしていくための教育でした。
津田梅子と小平のつながりは、現在の津田塾大学小平キャンパスにあります。1922年、津田梅子は小平に新しい校地を取得しました。ただし、1931年に行われた小平への移転は、津田梅子の死後のことです。そのため、小平は津田梅子が長く教育活動を行った場所ではありません。しかし、自ら校地を選び、未来の学びの場として構想した場所でもあります。
そして現在、小平キャンパスには、津田梅子の墓所が設けられています。これは、「この場所に学校をつくりたい」という想いが、その後の時代に受け継がれたことを象徴しています。小平は、津田梅子の志が形になった場所と言えます。
2024年から発行された新五千円札の肖像に津田梅子が選ばれた理由は、日本における女子教育の先駆者としての功績です。
これらの功績が評価され、現代にもつながる存在として選ばれました。
津田塾大学は現在も、小平を拠点の一つとして教育を続けています。そして玉川上水の近くに広がるこのキャンパスには、津田梅子の墓所があり、その理念が静かに受け継がれています。小平の中にある大学というだけでなく、この場所は、教育の歴史そのものを感じられる場所でもあります。
津田梅子は、教育を通じて社会を変えようとした人物です。
津田塾大学公式「津田塾の歴史」
https://www.tsuda.ac.jp/aboutus/history/index.html
津田塾大学公式「沿革」
https://www.tsuda.ac.jp/aboutus/history/milestone.html
津田塾大学公式記事「創立120周年記念特別対談」
https://www.tsuda.ac.jp/student-life/campusreport/2022/1218.html
津田塾大学デジタルアーカイブ
https://lib.tsuda.ac.jp/digitalarchive/df1.html
日本銀行「現在発行されている銀行券・貨幣」
https://www.boj.or.jp/note_tfjgs/note/valid/issue.htm
日本銀行「新しいお札の紹介資料」
https://www.boj.or.jp/note_tfjgs/note/n_note/f_security2.pdf
小平市公式「津田塾大学」
https://www.city.kodaira.tokyo.jp/kurashi/001/001162.html
小平市公式「新5000円札の顔 津田梅子」
※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。

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