こいねこ
女性2,065人の名前を記録した従者。その帳面を見せられたのは、主人に裏切られた女性だった。
「イタリアでは640人、ドイツでは231人、フランスでは100人、トルコでは91人。そしてスペインでは、すでに1,003人!」
モーツァルトのオペラ《ドン・ジョヴァンニ》に登場する「カタログの歌」。従者レポレッロが、主人ドン・ジョヴァンニの女性遍歴を次々と数え上げる、バス・バリトンの有名なアリアです。
軽快なリズムに乗って、国ごとの人数が並びます。
その合計は、なんと2,065人。
しかし、少し考えてみると不思議な歌です。
なぜ従者は、主人が関係を持った女性たちの記録を付けていたのでしょうか。
なぜスペインだけ、ほかの国を大きく上回る1,003人なのでしょうか。
そして何より、なぜモーツァルトは、これほど残酷な場面に、こんなにも魅力的な音楽を付けたのでしょうか。その謎を、イタリア語の原詩と音楽、作品が生まれた歴史から読み解いていきます。
《ドン・ジョヴァンニ》とは、どんなオペラなのか?
《ドン・ジョヴァンニ》(Don Giovanni)は、モーツァルトが作曲し、ロレンツォ・ダ・ポンテが台本を書いた全2幕のオペラです。1787年10月29日、プラハで初演されました。
作品の正式な題名には、「罰せられた放蕩者」という意味の言葉が含まれています。主人公ドン・ジョヴァンニは、女性を次々と誘惑する貴族です。彼は自分の欲望のために嘘をつき、人を欺き、ときには暴力も振るいます。
物語の冒頭では、騎士長を決闘で殺してしまいます。
それでも彼は、自分の行いを改めようとしません。
そんな主人に仕えているのが、従者レポレッロです。
主人の行動に振り回され、文句を言いながらも、なかなか離れられない人物。
このレポレッロが歌うのが「カタログの歌」です。
なぜ、裏切られた女性にこんな歌を聞かせるのか?
【第1幕】
ドンナ・エルヴィーラという女性が、ドン・ジョヴァンニを探しています。彼女はかつてドン・ジョヴァンニに愛を誓われながら、捨てられてしまった女性です。
ようやく本人を見つけたと思ったところで、ドン・ジョヴァンニは逃げ出してしまいます。そして、従者レポレッロに彼女の相手を任せます。エルヴィーラは、裏切られた怒りと悲しみを抱えています。
そんな彼女に、レポレッロは驚くようなことを告げます。
「あなたは最初の女性でも、最後の女性でもありません」
そして、大きな帳面を取り出します。そこには、主人が関係を持った女性たちの名前が記録されているというのです。これを見せれば、エルヴィーラも主人への未練を断ち切るだろう。
レポレッロには、そんな意図があったとも考えられます。しかし、彼がこれから歌う内容は、彼女を慰めるどころか、さらに深く傷つけるものです。
「このカタログを作ったのは私です」
Madamina, il catalogo è questo
delle belle che amò il padron mio;
un catalogo egli è che ho fatt'io,
osservate, leggete con me.
「奥様、こちらが私の主人の愛した女性たちの一覧です。
このカタログを作ったのは、この私。
どうぞご覧ください。一緒に読んでみましょう」
ここで注目したいのは、
un catalogo egli è che ho fatt'io
「私が作ったカタログです」
という言葉です。レポレッロは、主人の女性遍歴を、自分自身で記録してきたのです。
なぜ、そんなことをしていたのでしょう??
彼は主人の行いを批判しながらも、その生活を支える側にいるのです。
スペインでは、すでに1,003人
レポレッロは、国ごとの人数を読み上げます。
国ごとの人数を合計すると、2065人になります。
それにしても、なぜスペインだけ1,003人なのでしょうか。
なぜ「1,000人」ではなく「1,003人」なのか?
実は、この数字には興味深い研究があります。
まず、イタリア語の響きに注目してみましょう。
mille e tre
「1,003」
最後の tre は、「3」を意味する言葉です。
イタリア語の詩では、言葉のアクセントが旋律やリズムと密接に関係します。メトロポリタン歌劇場の教育資料では、tre が強い語尾の響きを作ることに注目しています。
また、1,000という大きな数に、さらに3を加えることで、単なる切りのよい数字とは違った印象が生まれます。
「1,000人」ではなく、「すでに1,003人」。
この「すでに」という言葉も重要です。
son già mille e tre
数字がまだ増え続けているような印象を与えるのです。
ここも計算された歌の中のスパイスなのかもしれません。
帳面には名前があるのに、歌では誰の名前も呼ばれない
ここで、もう一つ不思議なことがあります。レポレッロは、帳面には女性たちの名前が書かれていると説明しています。ところが、実際のアリアでは、女性の名前を一人も読み上げません。
代わりに、国ごとの人数を数え、身分や年齢、外見で分類していきます。
レポレッロの歌では、一人ひとりの人生を持った女性たちが、数字や分類に置き換えられていくのです。この点について、パリ・オペラ座が公開した音楽哲学者ベルナール・セーヴの解説も、重要な指摘をしています。
本来、名前を記した一覧であるはずのカタログが、歌の中では人々を分類する目録に変わっているというのです。これはドン・ジョヴァンニにとって、女性たちが交換可能な存在になっていることを表しているとも読めると言われています。
音楽は、なぜ途中で変わるのか?
「カタログの歌」を聴いていると、途中で音楽の雰囲気が大きく変わることに気づきます。
前半は、速いテンポで数字や身分を並べていく部分です。
アレグロ、4拍子。
レポレッロは、まるで帳簿の内容を読み上げるように、次々と情報を並べます。ところが後半になると、音楽はアンダンテ・コン・モート、3拍子へと変わります。
旋律は、前半よりもゆったりとした性格になります。
そこで歌われるのは、女性たちの容姿や特徴です。
まるで、それぞれの魅力を丁寧に紹介しているかのようです。
前半では数字を数え、後半では女性たちを品定めする。
モーツァルトは、音楽の性格を変えることで、レポレッロの語り方そのものを変化させているのです。
しかし、そこにはドン・ジョヴァンニの身勝手な好みが並んでいるだけだと分かります。
背の高い女性と小柄な女性――音楽にも仕掛けがある
後半の歌詞には、こんな一節があります。
è la grande maestosa,
la piccina è ognor vezzosa.
「背の高い女性は威厳があり、
小柄な女性はいつも愛らしい」
ここで、モーツァルトの音楽を注意深く聴いてみてください。
背の高い女性を表す部分には大きな音の動きが使われ、小柄な女性を表す部分では音域が狭まり、短い音が繰り返されています。
言葉が表す姿を、音楽でも描いているのです。
このように、歌詞の意味を音の動きで表現する手法は、Word paintingとも呼ばれます。レポレッロ役の歌手が、この部分で身振りを交えて歌うことがあるのも、音楽そのものに演劇的な仕掛けが含まれているからでしょう。
バス・バリトンにとって、このアリアは言葉の意味に応じて声の表情を変え、人物の滑稽さや皮肉を伝えることが求められる曲なのです。
アリアの後半に解説を進めます。
最も残酷なのは、年老いた女性についての一節かもしれない
レポレッロは、さらにこう歌います。
Delle vecchie fa conquista
pel piacer di porle in lista.
「年老いた女性まで口説き落とす。
ただ、一覧に加える楽しみのために」
この一節は、特に残酷です。
そこには、相手への愛情すら感じられません。
そして、レポレッロは主人が特に好む相手についても語ります。
ma passion predominante
è la giovin principiante.
「しかし、彼がとりわけ好むのは、
恋愛経験のない若い女性」
この言葉を、裏切られたエルヴィーラに聞かせているのです。
舞台上では軽妙な音楽が流れています。しかし、エルヴィーラの気持ちを考えると、決して単純に笑える場面ではありません。
実は、モーツァルト以前にも「カタログの歌」があった
ここで、作品の歴史を少しさかのぼってみましょう。《ドン・ジョヴァンニ》は、モーツァルトとダ・ポンテが何もないところから生み出した物語ではありません。
女性を誘惑し続けるドン・ジュアンの伝説は、17世紀のスペイン演劇などを通じてヨーロッパに広がっていました。
そして1787年、モーツァルト版の初演より前に、ヴェネツィアで別の《ドン・ジョヴァンニ》が上演されています。
作曲はジュゼッペ・ガッザニーガ。
台本はジョヴァンニ・ベルターティ。
この作品にも、主人の女性遍歴を語る従者が登場します。
名前はレポレッロではなく、パスクァリエッロです。
そして、彼もまた女性たちを列挙する場面を持っていました。
ダ・ポンテは先行作品の場面を取り入れながら、独自の言葉と数字を与え、モーツァルトはそこに鮮やかな音楽を付けました。先行作品との比較によって、私たちがよく知る「カタログの歌」が、どのように形作られたのかが見えてきます。
レポレッロは、主人を尊敬していたのか?
このアリアを歌うレポレッロは、どのような気持ちなのでしょうか。
主人の女性遍歴を自慢しているのでしょうか。
それとも、その行いを軽蔑しているのでしょうか。
《ドン・ジョヴァンニ》の冒頭で、レポレッロは主人に仕える苦労をこぼしています。
自分も貴族のような暮らしをしたいと不満を漏らす人物です。
一方で、主人の悪事に付き合い、その記録まで付けています。
主人の行いを批判しながらも、そこから離れられない。
そんな矛盾した立場にいるのです。
「カタログの歌」でも、自慢げに聞こえることもあれば、皮肉にも聞こえます。
エルヴィーラに現実を知らせようとしているようにも見えます。しかし、結果として彼女を深く傷つけています。レポレッロは、悪事の傍観者ではなく、悪事の歯車の一部にもなっているのです。
この複雑さこそ、歌い手によってさまざまな解釈が生まれる理由の一つでしょう。
モーツァルトは、なぜこんな悲劇に陽気な音楽を付けたのか?
けれども、歌詞を理解すると、笑いの中に不快さや残酷さが潜んでいます。
《ドン・ジョヴァンニ》は、喜劇的な場面と深刻な場面が入り交じる作品です。
実際、初演台本の表題には、dramma giocoso という言葉が使われています。
一般に、喜劇的要素と深刻な要素を併せ持つオペラの形式を表す言葉です。
《もう飛ぶまいぞ、この蝶々》との意外な共通点
前回の「こいねこ|曲の解説」では、モーツァルトの《フィガロの結婚》から「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」を取り上げました。あの曲では、フィガロが恋に浮かれるケルビーノをからかい、軍隊へ送り出す場面が描かれていました。
勇ましい行進曲のような音楽に、皮肉な歌詞が重なっていました。今回の「カタログの歌」も、似た構造を持っています。軽快な音楽に、笑って済ませられない内容が重なっているのです。
そして、二つの曲にはもう一つつながりがあります。《ドン・ジョヴァンニ》の晩餐場面では、《もう飛ぶまいぞ、この蝶々》の旋律が引用されています。
従者レポレッロは、それを聞いて「これは嫌というほど知っている」と語ります。実は、プラハ初演でレポレッロを演じたフェリーチェ・ポンツィアーニは、それ以前にフィガロ役を歌っていました。
二つのオペラは、当時の舞台を担った歌手たちを通じてもつながっていたのです。
帳面に記された2,065人。
歌の中ではただの数字に変わった、名前を持っていたはずの女性たち。
その話を聞かされているのは、実際に裏切られた女性エルヴィーラ。
一体、誰にとって面白い歌なのでしょうか。
次にこのアリアを聴くときは、ぜひ、数字を数えるレポレッロの声だけでなく、その話を聞いているドンナ・エルヴィーラの姿も思い浮かべてみてください。
主な参考資料
モーツァルテウム財団/《ドン・ジョヴァンニ》校訂台本
1787年の台本に基づくイタリア語の原詩、場面構成、歌詞の確認。
https://dme.mozarteum.at/libretti-edition/pdf/LV_512.pdf
パリ・オペラ座/ベルナール・セーヴ「カタログの歌」の解説
名前の一覧と分類目録の違い、音楽と人物描写の関係についての考察。
https://www.operadeparis.fr/en/season-15-16/opera/don-giovanni
メトロポリタン歌劇場/「Mille tre」
1,003という数字の詩的な効果、音楽による人物描写の解説。
https://www.metopera.org/learn/education/mille-tre/
モルガン図書館/《ドン・ジョヴァンニ》資料
「カタログの歌」の初期出版資料と楽曲解説。
https://www.themorgan.org/exhibitions/online/mozart/431
ローマ歌劇場歴史資料館/《ドン・ジョヴァンニ》作品情報
初演年月日、登場人物、声種、作品の成立についての確認。
| 名称 | こいねこ |
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