こいねこ
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《踊り明かそう》―イライザは、なぜ眠れなかったのか?
『マイ・フェア・レディ』の名曲に隠された、発音練習の成功と心の高鳴り、「踊り明かそう」と聞くと、華やかなドレスを着て、一晩中舞踏会で踊る姿を思い浮かべるかもしれません。
軽やかで、明るく、聴いているだけで心が弾むようなメロディ。
ミュージカル『マイ・フェア・レディ』の代表曲として、世界中で親しまれている《踊り明かそう》です。ところが、物語の中でこの歌が登場するのは、華やかな舞踏会の後ではありません。
主人公イライザが、長く苦しんできた発音練習に成功した夜なのです。なぜ彼女は、眠ることも忘れるほど心を躍らせたのでしょうか。今回は、英語の原題、歌詞、ミュージカルの場面、そして原作の戯曲までたどりながら、この名曲を読み解いてみたいと思います。
『マイ・フェア・レディ』は、言葉から始まる物語
『マイ・フェア・レディ』は、1956年3月15日にニューヨークのブロードウェイで初演されたミュージカルです。脚本・作詞はアラン・ジェイ・ラーナー、作曲はフレデリック・ロウ。原作は、アイルランド出身の劇作家ジョージ・バーナード・ショーによる戯曲『ピグマリオン』です。
初演で主人公イライザ・ドゥーリトルを演じたのはジュリー・アンドリュース。言語学者ヘンリー・ヒギンズを演じたのはレックス・ハリソンでした。この作品は、初演から1962年まで2,717回上演される大ヒットとなりました。
物語の舞台は20世紀初頭のロンドン。花を売って暮らすイライザは、自分の話し方を変え、もっとよい仕事に就きたいと考えています。そこに登場するのが、発音や話し方を研究するヒギンズ教授です。
ヒギンズは、言葉遣いを徹底的に訓練すれば、イライザを上流階級の女性として通用させられると考えます。こうしてイライザの厳しい訓練が始まります。
当時のイギリス社会では、話し方が出身階級を判断する手がかりにもなっていました。つまり、言葉を変えることは、社会の中で自分がどう扱われるかを変えることにもつながっていたのです。
何度練習しても、うまく話せない
イライザの発音練習は、決して楽しいことばかりではありません。ヒギンズの指導は厳しく、何度も同じ言葉を繰り返させられます。思うように発音できず、イライザはいら立ちを募らせます。
そんな彼女に、ある夜、突然大きな変化が訪れます。
それまでうまく発音できなかった英語の文章を、正しく発音できるようになったのです。その喜びを表すのが、《The Rain in Spain》というナンバー。イライザ、ヒギンズ、ピカリングの3人は、歌いながら踊って成功を祝います。長く続いた練習の末に、ようやく訪れた達成の瞬間です。そして、その興奮が冷めないまま、次の《踊り明かそう》へと続きます。
《踊り明かそう》は、舞踏会の後の歌ではなかった
ここが今回、特に注目したいところです。《踊り明かそう》は、イライザが社交界の舞踏会から帰ってきて歌う曲ではありません。彼女が初めて社交の場で試されるアスコット競馬場の場面も、本格的な大使館の舞踏会も、この後に登場します。
《踊り明かそう》が歌われるのは、ヒギンズの家です。
発音練習に成功し、ヒギンズたちと喜びを分かち合ったイライザ。夜も更け、家政婦のピアス夫人や女中たちは、彼女を寝かせようとします。ところが、イライザはまったく眠る気になれません。
そんな気持ちが、歌となってあふれ出します。実際、ブロードウェイ初演の楽曲一覧でも、この曲の歌唱者にはイライザのほか、ピアス夫人と女中たちが記されています。
眠るよう促す周囲の人々と、興奮が収まらないイライザ。この対比も、曲の魅力の一つなのです。
原題 I Could Have Danced All Night は、どういう意味?
英語の原題は、I Could Have Danced All Night
直訳に近い形では、「一晩中踊っていられたのに」「一晩中でも踊れそうだった」といった意味になります。ここで注目したいのが、could have danced という表現です。
一晩中踊った
そのくらい踊ることができたと思えるほど、心が高揚していたという表現です。イライザは直前の場面で、実際にヒギンズたちと踊っています。一晩中踊っていても足りないほど、うれしかった。そんな気持ちなのです。
日本語の《踊り明かそう》も、曲の華やかさをよく伝える題名ですが、原題を知ると、そこに込められた興奮がより身近に感じられます。
歌詞に登場する「翼」と「心」
この曲の英語歌詞には、踊り以外にも印象的な表現が登場します。その一つが、自分の翼を広げるというイメージです。これまで経験したことのないような、さまざまなことができそうな気がする。
そして、突然、心が空へ舞い上がったように感じる。そうした表現が、軽やかな旋律に乗せて歌われます。ここからは、物語と歌詞を重ねた一つの解釈です。
イライザは、それまで何度練習してもできなかったことを、初めてできるようになりました。その瞬間、自分にはもっと多くのことができるかもしれない、と感じたのではないでしょうか。できなかったことが、できるようになる。その喜びが、自分の世界まで広がったように感じられる。
歌詞に登場する「翼」のイメージは、そんな気持ちとも重なります。
では、ヒギンズへの恋心は?
ここで、もう一つ大切なことがあります。《踊り明かそう》を、発音練習に成功した喜びだけの歌として説明するのも、十分ではありません。英語歌詞には、ある男性が自分と踊り始めたとき、心が舞い上がったという趣旨の言葉が登場します。
直前の場面でイライザと踊っていたヒギンズの存在を考えると、彼への感情が歌に重なっていると読むのは自然でしょう。けれども、それをすぐに「ヒギンズに恋をした」と断定してよいのでしょうか。
イライザは、ヒギンズの厳しい指導に苦しみながらも、その指導によって大きな成果を得ました。
それらが入り交じっているようにも感じられます。恋心だけでも、達成感だけでも説明しきれない高揚感。この複雑さが、《踊り明かそう》を単なる明るい歌以上のものにしているのかもしれません。
原作『ピグマリオン』では、イライザはどうなる?
『マイ・フェア・レディ』の原作『ピグマリオン』を読むと、さらに興味深いことが分かります。原作でも、イライザはヒギンズから発音や話し方の指導を受けます。
しかし、作品の重要なテーマは、言葉を身につけることだけではありません。イライザが、他人に作り変えられる存在ではなく、自分の意思を持った一人の人間として、どう生きるかという問題も描かれています。
特に注目したいのが、原作者ショーが記した後日談です。ショーは、イライザが当然のようにヒギンズと結婚するという結末を否定し、彼女がヒギンズではなくフレディを選ぶことを説明しています。
ミュージカル『マイ・フェア・レディ』には独自の演出や結末があり、原作と完全に同じではありません。ただ、こうした背景を知ると、イライザの歌を「恋する女性のかわいらしい歌」とだけ捉えるのではなく、彼女自身の成長や感情の変化とともに聴くことができます。
映画版で聴こえる歌声は、誰のもの?
《踊り明かそう》が広く知られるようになった理由の一つが、1964年の映画『マイ・フェア・レディ』です。映画でイライザを演じたのは、オードリー・ヘプバーン。その姿を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
ところが、映画で聴こえるイライザの歌声の大部分は、ヘプバーン本人によるものではありません。歌唱を担当したのは、アメリカの歌手マーニ・ニクソンです。ヘプバーンも歌の録音に取り組みましたが、完成した映画ではニクソンによる歌唱吹き替えが採用されました。
一方、1956年のブロードウェイ初演では、ジュリー・アンドリュースがイライザを演じ、歌っています。舞台版と映画版を聴き比べると、同じ役、同じ曲であっても、歌声によって印象が変わることを楽しめます。
実は、フランク・シナトラも歌っている
《踊り明かそう》は、もともと女性主人公イライザのために書かれた曲です。しかし、その後はミュージカルの枠を越え、さまざまな歌手によって歌われてきました。その一人が、フランク・シナトラです。シナトラは1959年のアルバム『Come Dance with Me!』に《I Could Have Danced All Night》を収録しています。
ここで面白いのは、ミュージカルの登場人物として歌う場合と、独立した一曲として歌う場合では、聴こえ方が変わることです。イライザが歌えば、発音練習に成功した夜の興奮や、ヒギンズへの気持ちが背景にあります。
一方、男性歌手が歌えば、心が弾むほどの出来事を経験した一人の人間の歌としても楽しめます。実際、シナトラの録音では、相手を指す言葉が女性に置き換えられています。
つまり、《踊り明かそう》は、イライザの物語から生まれながら、歌い手によって別の表情も見せる曲なのです。
日本語で歌う? 英語で歌う?
《踊り明かそう》には、日本語で親しまれてきた歌唱もあります。英語で歌えば、原曲の言葉のリズムや、I Could Have Danced All Night という表現の響きを直接届けられます。
一方、日本語で歌えば、歌詞の内容を観客にその場で伝えやすいという魅力があります。
大切なのは、どちらの言語で歌う場合も、曲の背景を理解しておくことではないでしょうか。
そうした気持ちが、あの軽やかな旋律を生き生きとさせているように思います。
《踊り明かそう》は、なぜ眠れないほど幸せだったのか
今回、作品の場面と英語歌詞を改めて調べてみると、《踊り明かそう》の印象が少し変わりました。華やかな舞踏会の歌だと思っていたら、実際には、長く続いた発音練習が実を結んだ夜の歌でした。
イライザは成功を喜び、ヒギンズたちと踊り、これまでとは違う自分の可能性を感じたのかもしれません。そして、その興奮には、誰かに対する特別な気持ちも重なっていたのでしょう。
うれしくて、眠れない。
今夜だけは、まだ終わってほしくない。
そんな経験は、誰にでも一度くらいあるのではないでしょうか。《踊り明かそう》は、華やかな舞台の名曲であると同時に、人が何かを成し遂げたときの喜びを思い出させてくれる歌でもあります。こいねこでも、曲が生まれた背景や歌詞の意味を大切にしながら、音楽をお届けしていきたいと思います。
掲載時の参考資料
今回の記事では、上演団体・ブロードウェイの公式記録、原作本文、映画資料、レコードの公式収録情報を優先しました。
資料 | 確認した内容 |
|---|---|
作品のあらすじ、楽曲の登場順、歌唱者 | |
初演日、出演者、作詞・作曲、上演回数 | |
発音練習成功後のダンスと《踊り明かそう》の場面 | |
原作戯曲とショーによる後日談 | |
映画の制作情報とマーニ・ニクソンによる歌唱 | |
1959年の男性歌手による録音 |
| 名称 | こいねこ |
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